会山行紀行文 2025年
10/11(土)
曇り後雨晴れ
イザベラバードが辿った十三峠を歩く@
(新潟県→山形県)
鷹巣峠〜榎峠〜大里峠
(487m)
参加者 (紀行文) 2097 T/Y
No−118  グレード:C上  25名
 担当リーダー 2097 T/Y
(男性5名・女性20名) (写真) 2097 T/Y

≪コースタイム≫
新潟駅南口(6:10)=ベイシア新潟豊栄店(7:40)=聖篭新発田IC(7:00)=(日東道)=荒川胎内IC=(国道113号)=道の駅関川=下川口集落(7:46)…鷹巣峠(入口7:57…出口9:06)…榎峠(入口9:25…出口10:50)…沼集落=分岐(11:14)…畑鉱山跡…大里峠入口(12:10…12:40昼食)…大里峠頂上(14:25-14:36)…大里峠出口(15:45)…玉川集落(16:00)=道の駅関川=(国道113号)=荒川胎内IC=(日東道)=聖篭新発田IC=ベイシア新潟豊栄店=新潟駅南口(18:20)

≪紀行文≫
〜〜〜イザベラバードが辿った十三峠の最初の三峠の史跡や四季の自然に触れてきました〜〜〜

 越後米沢街道は、山形県米沢市の大町と新潟県関川村を結ぶ長約70kmの街道である。別名「十三峠」とも呼ばれており、山形県川西町小松と新潟県関川村下川口の全長約60kmの間には大小13の峠が存在し、この峠道は戊辰戦争の舞台となり、イギリスの女性旅行家イザベラ・バードが難儀して旅をしたひとつ行程である。
 他にも、伊達政宗や五郎八姫、良寛などが通ったといわれており、正に歴史の道でもある。
 この峠道は、大永元年(1521年)に伊達14代の稙宗(たねむね)が、大里峠を開いたのが始まりである。それ以前は、田代峠という標高700mを越えるルートであったが、大里峠が開削され、標高487mの山形・新潟の県境を越えるルートとなった。
 その後、順次東側のルートが整備され江戸時代の初めには十三峠が成立したといわれている。
 上杉藩により、宿駅・伝馬制度が整うと、ますます街道の重要度が高まり、最上川舟運と併せ、置賜の経済活動を支えるようになり、長期間にわたって置賜と越後を結ぶ幹線道として重要な役割を果たしたとのこと。

 越後米沢街道は、「歴史の道百選」「日本風景街道」に登録され、英国の女性探検家イザベラ・バードの旅行記の舞台ともなった越後米沢街道・十三峠を4回に分け、1回目は鷹巣峠〜榎峠〜大里峠をトレッキングした。
 第1回は13.3kmあるが、途中移動にバスを使い約10 km歩いた。

 天気はほぼ予報通りで、午前中は曇り、午後から約1mm程度の小雨が降ってきた。

 新潟駅から19名を乗せ新潟駅6時10分マイクロバス2台で出発、途中ベイシア新潟豊栄店駐車場5名、聖籠新発田IC1名を乗せ合計25名。
 日本海東北自動車道に乗り、荒川胎内ICで下りて国道113号等経由で関川村下川口集落に7:46到着。

 
今回のルート(クリック拡大
     ルートの高低と距離(クリック拡大)

 鷹巣峠(新潟県関川村下川口と大内淵を結ぶ)

 2022年8月の豪雨により、今日のルートである関川村、小国町などで甚大な被害をこうむり、かつコロナなどで鷹巣峠道の整備が行われていないせいか、街道が荒れており、大変歩きずらくなっていた。
 林道が古道と同じ方向に切られており、林道と古道を交互に通る峠で、緩やかな傾斜で歩き易い。
 標高は低いがピークの2つある峠で、大内淵側は米坂線の開通によって古道は分断されており迂回して通る。

関川村下川口集落の峠入口で
岡村ガイドの挨拶
鷹巣峠登山開始 登山開始直後にある7基の石造物群

米沢街道・二重坂入口から入る 
歩きやすい街道
(イザベラバードが通った街道)
中ノ沢越場と呼ばれる
休耕田跡からの急坂

ここが鷹巣峠のピークで、
左上にある道が本来の街道
岡村ガイドから古い時代の米沢街道と
米坂線により新しい街道を説明
米坂線トンネルの上の新しい街道を歩く 

鷹之巣温泉を開湯した
齋藤善作供養塔を説明
鷹巣峠出口 鷹巣峠出口から榎峠入口まで
国道113号線を歩く

 榎峠(新潟県関川村大内淵と沼を結ぶ)

 標高は低いがやや急坂のある峠である。かつては峠の頂上に一里塚(杭場)が建ち、榎の大木が枝を広げていたといわれる。
 大内淵側の入口付近には茶屋があり、旅人の憩いの場となっていたという。しかし、戊辰戦争が始まると、この榎峠も戦乱の渦に巻き込まれることとなった。
 沼部落の当時の宿屋であった孫惣にイザベラバードが宿泊して、「日本奥地紀行」その顛末が記述されているが、岡村ガイドさんからその説明を受けた。

国道113号線のすぐ脇に榎峠入口がある 榎峠の大内淵側の入口上部で休憩 暫く急坂が続く
榎峠の頂上にある如意輪観音像
戊辰戦争時に榎峠で激戦を繰り広げ
戦死した米沢藩士と新発田藩士の供養塔
榎峠出口到着
バス移動中は登山靴にビニール袋装着
イザベラバードが宿泊した沼部落の
当時の宿屋孫惣
大里峠への分岐で下車

 大里峠(山形県小国町玉川と新潟県関川村沼を結ぶ)

 標高は478mで十三峠では宇津峠(491m)に次いで高い。沼側から小沢に小さな橋が架かる変化に富んだコースを登る。
 この峠では、沢に沿って街道が作られていたが、2022年8月の豪雨により途中かなりの距離に亘って削られて跡形もない状況で且つ沢が大きく広がって大きな岩で埋め尽くされ、ガイドさんの誘導があって何とか渡れてはいるが、削られた壁をよじ登るなど大変難儀して歩いた。
 峠頂上の地蔵堂には大蛇伝説に基づく「大里大明神」が合祀されている。
 伊達稙宗がこの峠を開削したことによって、後に十三峠が成立することになった。
 下りは、山形と新潟の県境を越える古道で、玉川側はほぼ送電線に沿ったコースで下る。 

分岐から少し入って峠まで一里の標識
大里峠入口まで40分は舗装・砂利道を歩く 廃村になった畑部落の祠

大里峠入口で昼食
大里峠入口からスタート 沢に沿った街道は豪雨によりこの状態

柄目木茶屋跡
何か所もこのような荒れた街道が 大里峠ピークに近づき緩やかに

 地蔵堂の地蔵、大里大明神、
観音などが祀られている説明
 大里峠頂上で集合写真  大里峠頂上から下山開始 
舗装林道へ玉川側の大里峠出口
標識の場所で玉金鉱山跡や
凶霊供養塔などの説明
大里峠出口の玉川集落で解散式