会山行紀行文 2025年
5/19(月)-21(水)
晴れ
日本三大山城
備中松山城・山陽道城巡り
参加者 (紀行文) 2461 T/T
No−55 グレード:C緩  22名
 担当リーダー 2052 M/T (男性4名・女性18名) (写真) 2461 T/T

≪コースタイム≫
≪5/19≫
新潟空港(8:05)〜伊丹空港(9:15-9:45)=吉備SA(昼食)=高梁市観光駐車場(13:15-13:30)=ふいご峠駐車場(13:45)…備中松山城(14:15-15:00)・…ふいご峠駐車場(15:30-15:45)=高梁市観光駐車場(16:00-16:15)=サンロード吉備路(17:00)
≪5/20≫
サンロード吉備路(8:30)=砂川公園P(8:45-8:50)=鬼ノ城(9:00-10:50)=砂川公園P(11:00-11:10)=四季彩・昼食(12:00-12:40)・・・岡山城・後楽園(12:50-15:00)=夢乃井(16:30)
≪5/21≫
夢乃井(8:00)=姫路城(8:45-12:15)=夢乃そば(12:45-13:45)=伊丹空港(15:15-17:20)〜新潟空港(18:25-18:40)

≪紀行文≫
〜〜〜知ることでより楽しめた日本100名城の4城〜〜〜

 本格的な城巡りは初めてでしたが今回行った4城は個性的でタイプが全く異なり驚きと感動の連続でした。また天候にも恵まれ夢のような3日間でした。
≪一日目「備中松山城」≫
 雲海に浮かぶ「天空の山城」として知られ、空きから冬にかけて朝日を浴びて雲海に包まれる姿は幻想的です。
 「難攻不落の城」で急峻な岩山に建てられた為天然の岸壁と何層もの石垣群のコントラストの美しさは息を飲むほどです。特に大手門はNHK大河ドラマ「真田城」のタイトルバックにも使われた場所です。両側の石垣が見上げる高さから覆いかぶさる様に迫ってきて迫力満点です。また二の丸から見て天守の容貌の美しさは城の中でも群を抜いていて「わー!、すごい!と歓声が上がる程です。

登城整理バスに乗り換え
石垣群 トイレの穴

  本丸では猫の城主「さんじゅうろう」が出迎えてくれました。この城は鎌倉時代に秋庭三郎重信により砦が築かれた事に始まり、城の奪い合い等で16回城主が代わった様です。
 天守には珍しく囲炉裏、神棚があり、城主の居間である装束の間の床下には忍者等に襲われても大丈夫の様に石が敷き詰めてあるそうです。
 今回ラッキーだったのは一番乗りで誰もいない山城を見れた事です。静けさの中に佇む城はより重厚感が増し神秘的で大変魅力的な城に見えました。
 雲海に浮かぶ城を見るには城の裏からトレッキングコースを行き、大松山吊橋を渡り尾根上に展望台が用意されています。その時期はカメラマンで一杯になるそうです。
 本丸とさんじゅうろう
二の丸
本丸内部

 高梁市は当時交通の要所で、その主役は高瀬舟でした。観光駐車場には実物大に復元された高瀬舟が展示してあります。長さ15メートル、帆の高さ7メートルの巨大な船体で浅瀬でも大丈夫な様に船底が平になっています。50石積みで米125表重さ7.5トン積めた様です。
 松山城からは岡山三大河川の一つ高梁川が良く見えました。
 平成30年の西日本大水害では高梁川が氾濫し長岡市から支援物資が届いたそうです、と言うのは170年前長岡藩の河合継之助が勉学に来ていたと言う繋がりからだそうです。またそれがゆえに長岡藩の悲劇に繋がったと言う話しだそうです。私たちは河合継之助が170年前歩いた道と同じ道を歩いたことになります。

城から観た高梁市 
高瀬舟 昔の様子
 一泊目、サンロード吉備路は歴史と文化の中心地にある宿です。
 敷地内には「きびつるの里」があり、特別天然記念物のタンチョウが飼育されています。部屋の中でも鳴き声は聞こえ窓を明けると翌見えます。

 夜の食事は酒飲み放題で皆さん大盛り上がりでした。
 
サンロード吉備路   飲み放題
≪二日目≫
 朝の散歩は4:30スタート、全国第10位の前方後円符の作山古墳の横を通り、備中国分寺に行きました。

 五重の塔は県内唯一のもので吉備路の代表的景観になっています。境内の建物はほとんどが江戸時代の物で美しいまま残っています。

 帰りに寄った江崎古墳は石室の長さが138メートルで、大きな石でくみ上げ石室の入口から中が覗けました。人骨、剣、ガラス玉、鏡など多量の遺物が出土しています。
 
備中国分寺五重の塔

 古代山城鬼ノ城、第一印象は「なんだ、この奇妙な城は?!」です。見たことも無い黄色い土の高い城壁や変わったデザインの西門等、形が不思議過ぎて歩いていてもわくわくが止まりません、まるで「キングダム」の世界だなと思いました。この西門二階の一風変わった盾の模様は藤ノ木古墳の埋蔵品から引用されています。
 築城の目的は大和朝廷が朝鮮半島の百済軍救援の為に出兵した白村江の戦い(663年)で大敗した後、唐、新羅連合軍の日本侵攻を恐れ、北部九州から瀬戸内海沿岸に築城した城の一つらしいです。
 その為この城からの景色は抜群に良く、総社平野から瀬戸内海まで見渡せます。逆に下の敵からは城壁や門が威厳ある姿に見える様に作られているそうです。因みにこの城は昭和47年の山火事がきっかけで発見されたそうです。
 この城を支えたもう一つの要因は飛鳥時代のたたら製鉄です。鬼ノ城の下のゴルフ場にはその鋳造所の遺構が有ります。門や巨大な柱を支える礎石や柱の加工は正確に行われていました。これらの製鉄技術を持つ朝鮮半島からの渡来人(温羅)が「温羅伝説」のルーツになっています。
 私達は山頂まで行きましたが、鍛冶工房、のろし台、倉庫などが有ったそうです。
 下山後に鬼ノ城ビジターセンター見学に行きました。

カッコイイ西門
西門裏側 藤ノ木古墳のデザイン

のろし台
たたら製鉄 鬼ノ城全体模型

 昼食は岡山後楽園入口の「四季彩」、ここの名物岡山ばら寿司ではありませんでしたが美味しい食事でした。
 岡山城へは旭川に架かる歩行者専用の月見橋を渡って行きます。この橋の上は絶好のお城ビューポイントになっていて城全体が見渡せます。
 岡山城は豊臣秀吉の五大家臣の一人、宇喜多秀家が築城した城で黒漆が塗られている為烏城と呼ばれています。天守は珍しい不等辺五角形で、これは城が建てられた地盤に合せて作られた為です。
 岡山城は戦災で消失した為現在は鉄筋コンクリートで再建されており、内部は歴史展示館になっていてエレベーターも有ります。
 写真ポイントは天守の屋根にある「金の桃瓦」です。桃は桃太郎伝説の桃でなく邪気を払い不老長寿を願う縁起物だそうです。

 お昼は四季彩

天守を撮影
岡山城

月見櫓
歴史展示 金の桃瓦

 日本三大名園岡山後楽園はとにかく広いです。明るく解放感があり手入れが行き届いていてとても綺麗です。池や水路と庭園のコントラストが素晴らしいです。
 バス時間までの自由行動でしたので一番奥までの茶室、茶祖堂から唯心堂、慈眼堂、タンチョウ鶴舎、藩主の居間として使われていた延養亭、能舞台、夏に「一天四海」が咲く蓮池等を見て回りました。

明るく広い庭園
タンチョウ鶴舎 弓場でソフトクリーム

 二日目の宿泊はホテル「夢乃井」、とても大きなホテルで大浴場が二か所あり男女入れ替え制なので全部入るのは難しいです。朝4:30から散歩コースは3コースありましたが短い万丈寺廃寺跡⇒ビオトープ⇒展望台⇒清流夢前川の横を歩く一周コースでした。

ホテル夢乃井
ホテルのロビーに到着 乾杯の挨拶

≪三日目≫
 比類なき美しを誇る姫路城。感想を一言で言うと「機能的に美しいものは見た目も美しい」です。また圧倒的規模の大きさも加わり、大きいがゆえの美しくもあると思いました。
 城自体が大きので見る角度により全く違う表情を見せてくれ、何処からでも美しい写真が撮れます。
 姫路城の良い点は戦災に遭うことが無く安土桃山時代の姿がそのまま残っていることです。
 建てられた目的は豊臣秀吉の西国攻めの拠点でもあり西国諸国からの攻撃を此処でくい止める「本気・ガチ」で戦う為だけの城を此処に作りました。その為戦う機能、能力、システムは日本最高で、日本建築としても最高だと思いました。

 いよいよ入城
 ガイドの説明 最初の撮影ポイント
当日は汗だく
堀に何か居るみたい わらわは千姫じゃ

 今回の山陽の城巡りに参加して大変勉強になり、城が好きになりました。またOリーダーから全員に渡された7ページの愛情たっぷりの手紙に心に染み、とても豊かな旅になりました。ありがとうございました。