会山行紀行文 2023年
10/22(日)
曇り後晴れ
(はくほうさんざん)
白鳳三山

参加者 (紀行文) 2097 T/Y
No−112 グレード:C  18名
 担当リーダー 2097 T/Y (男性2名・女性16名) (写真) 2097 T/Y
岩崎山(向羽黒山)(408m)、羽黒山(344m)、観音山(286m)
≪コースタイム≫
新潟駅(7:10)=新潟中央IC=安田IC(7:40)=(磐越道)=会津若松IC=本郷インフォメーションセンター駐車場(9:10-22)…観音山山頂(286m)(9:47)…羽黒山頂(344m)(10:13)…北曲輪…三曲輪(三の丸)…二曲輪(二の丸)(昼食11:54-12:52)…一曲輪・岩崎山(向羽黒山・本丸)山頂(408m)(13:26-32)…家臣団屋敷跡(14:25)…げんべ沼(14:37)…羽黒山神社下駐車場(14:47)=本郷インフォメーションセンター駐車場(14-51-15:19)=会津若松IC=(磐越道)=安田IC=新潟中央IC=新潟駅南口(17:25)
≪紀行文≫
〜〜〜福島の白鳳三山縦走と日本最大級の山城跡(向羽黒山城跡)をめぐる〜〜〜

 当初計画した10/21(土)が雨予報なので、晴れ予報の翌日10/22に延期したが、秋のイベント目白押しの時期の日曜日で、どこのバス会社も無しとのことでバスの確保に苦労したが、漸くマイクロバスの手配が出来、最終的に18名の参加で実施した。

 新潟駅から参加者15名を乗せたマイコロバスは新潟駅7時過ぎ出発、新潟中央ICから高速の磐越道に乗り安田ICで途中乗車する3名を乗せ計18名となる。
 会津若松ICで下り本郷地区の瀬戸町通りに建つ会津美里本郷インフォメーションセンター駐車場へ9:10到着し登山準備。その向かいから登り白鳳山公園の向羽黒ギャラリーで、カイドさんから白鳳三山や日本最大級の山城跡である向羽黒山城跡について説明を受けた。

 白鳳三山は、会津本郷焼で有名な会津美里町の本郷地区に位置する続日本100名城に選定され岩崎山(向羽黒山)(408m)、羽黒山(344m)、観音山(286m)の連なる三山の総称で、その三山を縦走する。

 また、岩崎山(向羽黒山)とその周辺の広大な地域に日本最大級の山城跡である向羽黒山城跡をめぐる。
今回のルート図(クリック拡大) 高低差と距離(クリック拡大)

 向羽黒ギャラリー前の駐車場から登り、左手の観音山山頂(馬頭観音跡広場)へ至る「かんのん坂」遊歩道の入口がある。その入口から9:38登山開始。

 急坂を登っていくと大山祇神社があり、この神社の由来を聞く。以降このような史跡でガイドさんからの説明を必ず頂く。少し歩いて「馬頭観音跡」の観音山山頂に着いたが山頂は芝生の広場となっており、明治戊辰戦役萱野隊記念碑、馬頭観音や観音堂の解説板があり、その奥に建っている東屋からは会津若松市中心部(鶴ヶ城)を眺められが、その奥の磐梯山は上部に雲がかかっていた。
 鶴ヶ城の東側(磐梯山の手前付近)には戊辰戦争で新政府軍の砲撃拠点となった小田山や、白虎隊自刃の地である飯盛山を遠望できる。 
本郷インフォメーションセンターで
登山準備完了
向羽黒ギャラリーでガイドの本間繁さんから白鳳三山と日本最大級の山城跡(向羽黒山城跡)の説明 「かんのん坂」遊歩道の入口
観音山山頂へ快適に登る 大山祇神社の鳥居と本殿 観音山山頂の記念碑、馬頭観音など説明

 次は羽黒山山頂を目指す。観音山から下山して一旦道路に下ると、子供達が遊ぶ「フィールとアスレチック」の施設がある。結構な規模で駐車場もあり、近くにはトイレも整備されている。大きな案内板があるので白鳳山公園の全体のイメージをここで掴むのも良い。

すぐに羽黒山への登山路の「松風の道」を登って行くと10分とかからないで四等三角点のある羽黒山に着く。山頂には天照皇大神の石碑がある。山頂からは北東〜東側の眺めがとてもよく若松市街も見ることが出来た。
山頂から緩やかに下って行くと「羽黒山神社」に着く。境内(羽黒山曲輪)の左手には出世稲荷神社。正面には羽黒山神社の拝殿、奥には本殿が鎮座している。
急な長い石段の参道を下って一の鳥居をくぐり道路へ出る。ここにもトイレが整備されており三の丸跡広場への入口にもなっている。
羽黒山への登山路の「松風の道」入口 羽黒山山頂の天照皇大神の石碑と
四等三角点がある
山頂から会津盆地や正面は磐梯山
羽黒山神社の拝殿、奥には本殿が鎮座 急な長い石段の参道を下って
一の鳥居をくぐる
盛氏屋敷跡などの郭、竪堀や横堀を説明

 ここから、北曲輪に入り、伝・盛氏屋敷跡などの郭をはじめ竪堀や横堀、大堀切の説明を受け、再度道路に出て、三曲輪(三の丸)に寄る。
 げんべ沼に近い大きな駐車場から特別に道を付けたというところから急な登山路を登り、普段一般観光客を連れて行かない二曲輪(二の丸)の周りの虎口、空堀や土塁の跡(水手曲輪)、竪堀、礎石建物跡などがあり、山城の痕跡が各所に残っている。
 説明によれば、まだ石の配置、窪みで何かの遺跡があった場所をも見せていただいたが、大学の先生などとも調査しているが、どのような遺跡なのかまだ判断できない個所も多いそうだ。
横堀 大手口の門跡 急な斜面に何段も壇を作り
柵をして守りを固めた
大きな堀切跡 虎口跡 二曲輪(二の丸)への最後の登り

 このような普段一般観光客を連れて行かない二曲輪(二の丸)の周りをほぼ一周して、虎口、空堀や土塁の跡(水手曲輪)、竪堀、礎石建物跡などの場所をかなり巡り、通常の遊歩道でなく本来の大きな竪堀の痕跡が残っている場所に行き、その後二曲輪(二の丸)に登り、昼食とした。
二の丸は平らな広場になっていて、展望台やあづまやが整備されている。二の丸の展望台からも会津盆地が見下ろせ展望は大変良い。
広い二曲輪(二の丸)へ到着 二曲輪(二の丸)の東屋で昼食 二の丸跡駐車場へ降りる

 昼食後、下の二の丸跡駐車場に降り、本来はその脇の最初階段のある急坂の登山路で登るが、今回は、観光客など一般の人は連れて行かない左のコースを取り、本来お城への登り口になるところから登る。
 最近確認された礎石建物跡、城道跡、虎口跡、空堀や土塁の跡、竪堀など山城の痕跡が各所に残っている道なき道を登り、二等三角点のある岩崎山(向羽黒山)頂上に着く。展望はまずまずである。大岩が印象的で向羽黒山城の遺構が残る。 厳しい戦いを想定して改修を重ねられた戦国時代の名城である。
観光客など一般の人は連れて行かない
本来お城への登り口から登る
石の配置で何かの遺跡・礎石建物跡 竪堀の上を登る

 集合写真を撮り、ガイドさんから頂上から2方向の周辺の山々や盆地の地理関係の説明を受けた後下山開始。
岩崎山(向羽黒山)頂上で集合写真 先ほど登ってきた羽黒山と奥は飯豊連峰方面
岩崎山(向羽黒山)の二等三角点 下山開始 向羽黒山城が左で急峻な場所の堀切

 下山路で大掘切跡の説明などを受け、「古城の道」を下り、道路へ出る。少し歩いて家臣団屋敷跡、モリアオガエルが生息するというげんべ沼を経由し、広い芝生の三曲輪(三の丸)広場に出る。
 三の丸跡(三曲輪)は、主に馬の訓練場であったらしく、目の前には田圃の中にポツンとそびえる丸山が見え、その左に明神ヶ岳(1074m)、私が10/12(土)山行で登る博士山が高く聳える。
「古城の道」下山口 左奥に明神ヶ岳が見えた 現在発掘中の家臣団屋敷跡

 三の丸跡(三曲輪)から道路に出て、少し歩くと羽黒山神社下駐車場に到着。ここで、バスが来たので乗車し、着替え・登山靴の履き替え、トイレのため本郷インフォメーションセンター駐車場へ向かう。
げんべ沼 三の丸跡(三曲輪)から下にある土塁説明 羽黒山神社下駐車場手前に到着

 白鳳山公園内の道路は、大きなバスが通ると行き違いが出来ないので、本郷インフォメーションセンターに連絡して、向羽黒ギャラリー前から反対側の出口の両方にセンター職員が交通止めをしてバスのみ通していただいた。
 我々のために、センター職員が何人もお手伝いしていただいたので、お礼をして少し降りたところにある本郷インフォメーションセンターの2階の会津本郷焼見学と土産等購入し、一路新潟駅南口へ向かう。 

 今回は、観音山や羽黒山では史跡や大山祇・羽黒山神社、戦国時代に葦名盛氏(あしなもりうじ)が戦略上の城として築いた日本最大級の山城跡の岩崎山山頂の本丸(実城)跡を中心に二の丸跡、三の丸跡、伝盛氏屋敷跡などの郭をはじめ、竪堀や空堀、虎口、石塁の跡などの戦国山城の名残が城跡内各所に残されているのを、背景にある歴史を加えてガイドさんが案内と詳細な説明を受けながら歩いた。
 普段は観光客を連れて行かないような城跡まで誘導していただき丁寧なご説明を頂いた。
 山行は、登山に加え歴史・城跡について勉強になり大変満足していただいたようで、このような歴史がある場所であることを学んでいただきました。  
 向羽黒山城跡(クリック拡大)