会山行紀行文
No−T51
グレード:D
2017年
 9/27(水)〜28日(木)
曇り一時雨
塩の道G松本ゴールと穂高神社お船祭り山
参加者 (紀行文) 2052 M/T
24名 (俳句) 557 T/K
(男性8名・女性16名) (写真)2051S/T 2052M/T
≪コースタイム≫
≪1日目(9/27)≫
 新潟駅南口(6:10)=安曇野IC(9:50)=豊科近代美術館(14:45)…法蔵寺(10:15)…八坂神社(10:45)…荒井堂の大銀杏(11:15)…仏法寺(12:40)
 …熊倉の渡し場跡・昼食(12:50-13:20)…春日神社(13:30-13:45)=穂高神社・お船祭り見学(14:30-16:40)
 =栂池高原(宿)ベルクールイノマタ(18:15)(泊) 
≪2日目9/28)≫
 宿発(8:10)=平瀬緑地(9:30-9:40)…高良幅玉垂野水(こうらはばたまだれのみず)ミニ…安曇野拾ヶ堰取水口(10:25)…刑場下(11:00)
 …駒町馬頭観音(11:25)…旧開智学校・昼食(11:55-13:00)=松本城(13:10-14:00)…牛つなぎ石(14:20)…大手門駐車場(14:45)
 =松本IC(15:10)=新潟駅南口(18:55)
≪紀行文≫
〜〜〜心のふるさと塩の道・最終章〜〜〜
≪1日目(9/27)≫
 前回の歩きの終着地、豊科近代美術館から歩き始めました。もう顔なじみとなったガイドさんと挨拶をし、法蔵寺へ移動。法蔵寺は武田信玄の軍用道路だった棒道沿いにあり、軍略、交通の要所でした。
 安曇野には双体道祖神が多く残っています。その男女の神様の姿に、祝言像など5種類あります。その微笑ましい姿を、探しながら歩くことも楽しみの一つになりました。
 荒井堂の大銀杏は樹齢350年の巨木です。街道時代にはランドマークとして、養蚕農家には天気予報を知らせる旗を掲げる役割を果たしてきました。まだまだ安曇野には多くの原風景が残されていました。

 (俳句) 常念の峯秋空へ塩の道       (俳句) 岐阜までの棒道とありざくろの実
 (俳句) 街道の野菊双体道祖神       (俳句) 土壁のはがれし土蔵柿たわわ

ガイドさんの挨拶 豊科を出発 法蔵寺
数珠を引くと願いが叶う 道祖神の説明 八坂神社
荒井堂の大銀杏 聞き逃さないように 安曇野の風景
双体道祖神の説明 今も残る常夜灯 懐かしい風景

 熊倉には百体観音が立ち並ぶ仏法寺や渡し場跡があります。昔は地名を地形から付けたそうで、「熊」は奥まったところ、「倉」は尾根の意味だそうです。
 この地は川の蛇行した奥まった所にあるために熊倉という地名が付いたそうです。江戸時代は川幅が今より狭く、橋が架けられ茶屋も立ち、大変賑わっていたそうです。
 船が往き来し、賑わっていた往時を偲びながら、犀川の岸辺で急ぎの昼食をとりました。その後、春日神社で、昭和30年まで使われていた渡し船を見学しました。

 (俳句) 水澄みし辻文字見えぬ道しるべ   (俳句) 野焼きあと野焼きの準備塩の道   (俳句) 渡し場の古りし木舟や草紅葉

絵図を使って説明 熊倉の渡しの絵図 仏法寺の百体観音
 熊倉の渡し場跡  犀川べりで昼食  保存されている渡し船

 穂高神社へバスで移動。お船祭りの発祥は諏訪大社で、信州ではお船祭りが各地で行われています。その中で、穂高神社のお船祭りが一番大きなお祭になります。海のない信州にお船祭りが盛んなのは、弥生時代に中国の難民「安曇族」が移住したためと言い伝えられています。
 子供らが引く子供船3台が神楽殿を3周した後に、2台の大人船が入場しぶつけ合いの始まりです。
 お囃子の音が一段と高まる中、盛大な鐘の合図で、お船は勢いよく何度も激しくぶつけ合います。その激しい迫力にすっかり魅せられてしまいました。時間の関係で最後まで見られませんでしたが、祭りの興奮を胸に宿へ向かいました。

 (俳句) 秋空へ威徳穂高の大のぼり     (俳句) 親の梶子ら引くお船秋まつり
 (俳句) 秋祭りお船ぶつかり散る火花    (俳句)なじみたる宿心地よき秋の宵


春日神社 自由民権運動家松沢求作の生家 穂高神社
子供船 大人船 太鼓の奉納
神官の入場 子供らが引くお船 神殿にぶつかりそう!
梶取が大変 見物客で一杯 大人船のぶつけ合い

  
≪2日目9/28)≫
 2日目はいよいよ塩の道の最終章、松本へゴールです。昨夜来の雨も小やみになり、バスで平瀬緑地へ移動。
 雨が上がったばかりの街道歩きに、柿や柘榴の実が風情を添えています。
 高良幅玉垂野水(こうらはばたまだれのみず)は松本からの一里塚、旅人の癒しの場でした。
 江戸末期に灌漑のため作られた拾ヶ堰を見学、塩の道は奈良井川を渡り松本旧市内へ入ります。
 貞享義民多田加助にまつわる史跡を廻り旧開智学校に到着。雨が再び降ってきたためにバスの中で昼食と休憩をとりました。

 (俳句) 草紅葉して雨やさし宿をたつ     (俳句) 霧晴れし山裾熊の渡り道    (俳句) 松本へ着けば莢けく雨あがる
 (俳句) 義賊らの討死にあと木の実落つ   (俳句) 駒町と名の由来ある糸すすき


今日の行程の説明 平瀬の拾ヶ堰 拾ヶ堰の取水口
一里塚の高良幅玉垂野水 新橋の説明 奈良井川沿いを歩く

 午後は、松本城の見学です。松本城は地震の影響で一時傾いたことがあり、多田加助の祟りではないかという伝承があります。
 ここで早目の「塩の道ゴール」の記念写真を撮りました。
 いよいよ最後は牛つなぎ石。牛つなぎ石は上杉謙信から贈られた義塩が届いた場所といわれ、しめ縄はり祀られています。その石の上に塩を盛り、その塩を舐めると幸せになるそうです。早速、盛り塩を舐めご利益を願いました。

 (俳句) お城見えほっと息つく落葉道    (俳句) 研修に来し日も秋や開智校    (俳句) 天守への急な階秋の城
 (俳句) 天守から見おろすお堀薄紅葉   (俳句) 牛つなぎ石をゴールに秋の道


松本城大手門前 松本城 町中のお城
牛つなぎ石
塩をなめ祈願 ゴールしました!!

 松本までの塩の道(西回り)120kmを、3年かけてを繋ぐことが出来ました。

 歩いた距離の多さもさることながら、村々に今も残る文化や伝統、人々の暮らしぶりなども知ることが出来ました。

 塩の道を歩くことで、心のふるさとを得たような思いが今は膨らんでいいます。

微笑ましい双体道祖神