会山行紀行文
No−T49
グレード:D
2017年
 9/15(金)
曇り時々晴れ
(とうのくらやま)
塔倉山
(富山県)
  727m
参加者 (紀行文) 1866 S/T
20名 (俳句) 557 T/K
(男性6名・女性14名) (写真) 1866 S/T
≪コースタイム≫
新潟駅南口(6:00)=巻IC=立山IC(9:10)=目桑登山口(9:55)…展望台(10:25)…分岐(10:45)…山頂(10:50)…東峰(11:05)
…山頂・昼食(11:15-12:10)…分岐(12:20)…展望台(12:35)…目桑登山口(13:05)=立山IC(14:05)=朝日IC
=親不知コミユニティロード・記念公園(15:00-15:50)=親不知IC(16:00)=新潟駅南口(18:20)・解散
≪紀行文≫
〜〜〜体力と知力の両面を鍛える楽しい一日〜〜〜

 富山県立山町の塔倉山(とうのくらやま)は、かっては冬にしか登られていなかった山だが、近年、地元山岳会によって夏道が造られ、一般の登山者や家族連れでも登られるようになった山であり、2014年に発刊された「富山の百山」に掲載されて初めて世間に知られるようになったのです。
 登山コースはクサリ場などもあってやや難度の高い長倉コースと、トレッキング向きの目桑コースがあり、今回登るのは目桑コースからです。
 途中のバス内は北朝鮮のICBM発射のJアラートが鳴り響きますが、構わず走って立山ICで高速を降り、白岩川ダムから目桑集落、更に林道を4kmほど進んで登山口へ。

  (俳句)ミサイルのニュースや秋の登山バス

 登山口の標識から登り出しましたが、このコースはあまり歩かれていない様子で、オオバコなどの草が登山道に生えています。また粘土質の赤土なので滑りやすい、しかも夜気の為か少し湿っていて気を付けないと転んでしまいます。互いに声を掛け合って慎重に登りました。

  (俳句)おおばこの穂を踏みつつの登山口

林道の道端にひっそりと登山口 あまり踏まれていない様子です 滑りやすい赤土の登山道

道端には、あちらにもこちらにもママコナの花がたくさん咲いていました。
やがて到着の展望台からは、手前に広がる富山平野とその向こうに長く延びる能登半島の展望が真に素晴らしい!

  (俳句)ままこなの右に左に登山道   (俳句)越中路稲田の囲む散居村

暫し展望を楽しんでから、ナナカマドの赤い実を楽しみつつ更に上を目指します。道も歩きやすくなってくると、長倉コースとの分岐となります。更にもう少し頑張った先が山頂でした。

  (俳句)ななかまどすでに赤い実峯近し

ママコナの花があちらこちらに 展望台のカワイイ標識 展望台から富山平野と能登半島
長倉コースとの分岐標識 分岐を左に向かいます 山頂の三等三角点

 西峰(山頂)と東峰の双耳峰である塔倉山、少し時間に余裕があるので西峰にザックを置いて東峰を訪ねました。

 10分余りで東峰ですが、ガイドブックにあるように何にもない広場、数枚の写真だけを撮って山頂(西峰)に反転しました。

  (俳句)穂芒の他何もなき東峯

 山頂からは僧ヶ岳・毛勝三山・剱・立山など名だたる富山の名峰が見える……筈でしたが、生憎の雲のため遠望は得られませんでした。

 山頂広場でゆっくりと時間をとってお昼とします。
 いつもながらに賑やかな会話と、T/Kさんのお点前をご馳走になりました。いつもいつも有難うございます。

  (俳句)寄る蟻を拂ひつ野点西の峯
 東峰まで行ってみたけど、何も無い
山頂(西峰)に戻りました  ゆっくりと時間を取って昼食、Kさんから結構なお点前も戴きました 
「ふるさとの山河うるわし」の標柱 
展望が良ければ剱や立山も……  集合写真、居あわせた方にシャッターをお願いしました 

 下山は登った道を戻りますが、滑りやすい箇所も路面が乾いて比較的に楽に安全に下る事が出来、転ぶ人も殆んど無くて一安心でした。
 珍しい花木では羽根つきの羽根に似た「ツクバネ」を見る事が出来ました。

  (俳句)つくばねの実の付き揃ふ下山道

ツクバネがありました 思ったよりも滑らなくて、みんな元気に下山しました

 立山ICに戻って暫く北陸道を走ってから、朝日ICで一旦降りて国道8号を新潟方面へ。
 立寄ったのは天険トンネルを出た先の栂海新道入口にある「親不知コミニュティロード」です。
 海沿いに延びる旧国道8号が、親不知の歴史や故事に関する展示や解説板の設置された公園となっているのです。
栂海新道の登山口 親不知や点検についての説明板や青海八景の標識

 この地を訪れたW.ウェストンのブロンズ像、(社)日本土木学会からの推奨土木遺産認定の銘盤などもあります。
 また親不知子不知のいわれとなった「親しらず 子はこの浦の波枕 越後の磯のあわと消えゆく」の碑もあります。平頼盛の妻が通った時に、険しい岸壁で2歳の愛児を懐から波にさらわれた悲しみを歌った歌とされます。
崖を覗き込むように建つ東屋 W.ウェストンの像 栂海新道を拓いた小野健さんの銘盤

 山壁には「如砥如矢(とのごとく やのごとし)」の文字が彫られています。砥石のように平らで矢のように真っ直ぐに通れるようになったと、旧国道の開通を祝う文字です。
 親不知コミニュティロードは険しい断崖を望むように東屋もあり、また、少し離れて険しい断崖を望む地に「愛の母子像」のある親不知記念公園もあって、街道の歴史を学ぶ公園となっています。
岩盤の文字を見上げる仲間 「如砥如矢」の文字が彫られている 東屋が風景に良くマッチしている
「天下の険」と言われる岸壁、かってはこの海面近くに道があった 新国道開通記念公園の「愛の母子象」


 今回は、富山の塔倉山に登り、新潟と富山の県境に位置する親不知子不知の歴史などを学ぶ盛りだくさんの予定をこなして、体力と知力の両面を鍛える?楽しい一日となりました。

                   (おわり)
海をバックに記念公園での集合写真