会山行紀行文
No−083
グレード:C上
2016年
 8/7(日)〜8(月)
晴れ
(きそこまがだけ)
木曽駒ヶ岳

  2956m
参加者 (紀行文) 1866 S/T 
24名
(男性7名・女性17名) (写真) 1866 S/T
≪コースタイム≫
《1日目》
新潟駅南口(5:00)=中央道・伊那IC(9:15)=桂木場登山口(9:50)…野田場・昼食(11:20-12:00)…大樽避難小屋(13:00)…胸突の頭(15:40)
…分水嶺(15:50)…西駒山荘(16:15) 宿泊
《2日目》
西駒山荘(6:05)…将棋頭山(6:28-6:45)…遭難記念碑(6:55)…八合目分岐(7:20)…濃ヶ池(7:40-7:50)…八合目分岐(8:10)
…木曽駒ケ岳山頂(9:50-10:10)…中岳…千畳敷駅(12:10)≒しらび平駅(12:50)=菅の台バスセンター(12:50)=こまくさの湯(13:15-15:40)
=中央道・駒ヶ根IC(15:45)=新潟駅南口(19:05)
≪紀行文≫
                           〜〜〜「聖職の碑(いしぶみ)」を訪ねる山旅〜〜〜
(一日目)
 日本近海には台風5号の接近も報道されていますが、この木曽駒山行への影響はまず無さそう。
 新潟駅を早朝5時に出発し、予定通り中央道伊那インターで高速を降り、桂木場(かつらこば)登山口に到着。青空の広がりとそんなに暑さを感じない登山口、これから始まる山行への期待が高まります。

 歩き出しは杉の美林が続くジグザグの道、急坂ではあるものの、緩く折り返す穏やかな道は真に歩きやすく、仲間の会話テンションも上がります。

 1時間半ほど歩いた“野田場”は水場となっており、ここで昼食となりました。周囲はよく手入れされた杉林から木曽桧の美林に変わっていたが、相変わらずの樹林帯であり陽を遮ってくれるのが有難い。
今回歩いたコース(クリックで拡大)
桂木場登山口の様子 駐車場から樹林帯の登山道に入ります ジグザグの緩い傾斜を快適に登る

 野田場から先の“馬返し”を過ぎると、いよいよ“胸突き八丁”の始まりです。
 胸が付くほどの急坂かと想像していたのに、傾斜はさほどのことはないものの、不規則な石の積み重なる歩き難い道が、この先2時間以上も続く事になります。
所々にこんな標識、分かりやすい 白川分岐、奈良井宿方面への分岐 落雷事故現場、ここでも学校登山中に・・

 途中にはトイレなども設備された無人の避難小屋・大樽小屋や津島神社などもありますが、材種はカラマツに替わったものの相変わらず高い木々に遮られています。
 汗を拭きつつ苦労しながら登り続けます、流石にみんなの足も遅くなるものの無理は禁物!、適宜休憩をとりながらゆっくりと登り続け、やっと森林限界に辿りついた!と思ったら、ここが“胸突きの頭“であり、視界が一気に開けました。
大樽避難小屋 胸突八丁を登る 思ったより傾斜は緩いが歩き辛い

 深い谷を隔てて向かい側には、木曽駒への稜線もしっかり確認できます。また、ここは太平洋側への天竜川や木曽川と、奈良井川から信濃川となって日本海側へ流れる分水嶺となっているようです。
 ここまでくれば、西駒山荘まで標高差85mとあります。気合を入れ直して30分ほどで西駒山荘に到着となりました。
胸突の頭、森林限界です。 分水嶺、展望も出てきました 木曽駒が望めます

 一昨年に新装なった西駒山荘はとてもきれいで気持のよい山荘であり、今年、登録有形文化財となった“石室”と共にその歴史的価値も大きいのです。
 大正2年の中箕輪尋常高等小学校の生徒10名と校長先生が亡くなる遭難事故が起きた後、安全登山を確かなものにするために大正4年に建てられ、昨年100年を迎えて登録文化財に指定されたものです。
西駒山荘に到着、ガスがかかってきました 西駒山荘、左の石室が有形文化財 山荘の管理人さんたち、歓迎してくれました

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 *「聖職の碑(いしぶみ)」著者・新田次郎 
 *学校登山の遭難事故を忠実に表した作品、映画にもなった。
 1913年(大正2年)8月26日、中箕輪尋常高等小学校(現在の箕輪中学校)は、赤羽校長ほか教師2名、サポートする青年団9名、生徒(今の中学二年生)25名の合計37名で、桂木場から登り、濃ヶ池経由で宝剣岳直下の石室に屋根をかけた“伊那小屋”に泊まる予定だった。
 しかし、濃ヶ池手前辺りから台風による強風に煽られ、やっと辿り着いた伊那小屋は登山客の失火に寄り焼落ちていた。
 焼残りの材木などで応急の屋根を造ったものの役立つはずもなく、寒さに耐えられずに生徒一人が亡くなった。
 我慢しきれなくなって小屋を飛び出した青年に続いて、皆が外へ出たもののバラバラになってしまい、一部は集落に帰り着き、また一部は登山道のあちこちで倒れたものの後日救助隊によって助けられた。しかし、赤羽校長と生徒10名は山中で息絶えていた。
 「教師は、こどもたちを愛し導くためには、身を犠牲にするのも惜しくはない」、遅れた生徒を必死に守ろうとしたが力尽き、生徒8人(他に2人の生徒は別の場所で亡くなった)と共に将棊頭山付近で倒れ亡くなっていた赤羽校長は、正に聖職の人だったのです。

 当時は着物に股引、脚絆に草鞋履き、麦わら帽子を被り防寒用に冬シャツ、雨具はゴザという装備だった。
 また、石が飛ぶほどの台風だったというが、当時の観測能力では予想はできなかったという。
 伊那小屋は、現在の“天狗荘“の付近にあったと言うが、今は影形ない。
 長野県の学校登山は今も盛んに行われており、箕輪中学では毎年遭難の日に登り、遭難記念碑に花を供えると言う。

(二日目)
 夜中に起きてみると、一面の星座と麓の駒ケ根市の夜景が大変きれいに見えました。
 5時の日の出に合わせて早起きしたが、生憎、雲の為にスッキリした日の出は見られませんでした。
 しかし、天気は最高にいい! 遠く北アルプスや南アルプス、赤石山脈などの雄峰が望まれます。
稜線のシルエットがきれい 日の出を待つ仲間たち 八ヶ岳の上の稜線、雲が・・・

 準備万端整えて6時に西駒山荘を出発し、まずは小屋背面の将棊頭山(しょうぎかしらやま)2730mに登る。
 周辺には名立たる山並みが広がり、すぐ目の前には一昨年58名が亡くなり戦後最悪の噴火となった御嶽山が静かに聳えていました。
朝日を浴びる宝剣岳と宝剣山荘 高台からの西駒山荘、手前はトイレ舎 最高の山日和、二日目の行動開始です
将棊頭山、奥に御嶽山 本日歩く馬の背の稜線 御嶽山

 展望を楽しんでから登山道に戻り、10分ほど歩くと聖職の碑である「遭難記念碑」がありました。生徒に自分の衣類を着せかけ、庇うように折り重なって亡くなっていたという赤羽校長を悼んで建てられた記念碑、箕輪中学校では毎年の学校登山で献花しているそうです。
 山の楽しさは危険と紙一重であることを思い、改めて安全登山に徹しようと念じつつ頭を垂れました。
乗鞍岳もくっきりと望めます 山座同定を楽しむ仲間たち 「遭難記念碑」
校長と10人の生徒が亡くなりました

 開放的な登山道をしばらく進んだ先の分岐より、一旦、左に入って濃ヶ池を目指します。高所池である濃ヶ池はそんなに大きくなく、静かな佇まいを見せてくれました。
一旦、稜線を離れて濃ヶ池に向かいます 濃ヶ池、奥に見上げるのが宝剣岳 可愛い地蔵様と道しるべ

 登山道分岐に戻って、いよいよこれから本格的に木曽駒へと向かいますが、難所の“馬の背”を登らなければなりません。
 陽も高くなりましたが、程よい風もあり湿度も高くなくて助かります。

 急こう配のガレ場をゆっくりゆっくり登りますが、登山者も増えてきて互いに譲り合ってのスライドが続きます。
 高度を上げるに従って一段と良くなる眺めを楽しみつつ、ピークを二つほど越えると左手には中の岳やテント場なども見られます。
 そして正面に木曽駒の山頂が見えてきました。
急傾斜の馬の背を登る 岩の積み重なる歩き難い道が続く 木曽駒ヶ岳の山頂

 9:50、ほぼ予定時間通りに山頂に到着!です。
 木曽駒ヶ岳山頂でゆっくりと時間をとって、展望を楽しんだり写真を撮り合ったりした後、下山に掛ります。
 下山は、中の岳〜乗越浄土〜千畳敷と下り、駒ヶ岳ロープウェイでの下山となります。
木曽駒山頂の標識、悠久の自然 山頂より下山 中の岳への登り返し
中の岳より木曽駒を振り返る  宝剣岳、宝剣山荘、天狗荘が見えます  千畳敷カールへ向かって下山

 昨日の“聖職の聖コース“は人も少なかったのですが、今日の下山コースは木曽駒登山のメインルートですので、とても人が多い。
 流石は本邦有数の名山、家族連れやグループなど老若男女が次々と登ってきます。
 たくさんの人を交わしながら中の岳への急坂を登りきり、更に乗越浄土へと下りますが、宝剣岳の麓には宝剣荘と天狗荘があります。
 聖職の碑で泊まるはずだった小屋は、天狗山荘の辺りにあったと言われています。
 それにしても、自分達は西駒山荘で一泊していますが、子供たちは桂木場から一気に天狗山荘辺りまで登る予定だったとは・・・装備の粗末さな どを考えると、その身体能力の高さに驚かされます。
駒ケ根市と北岳・塩見などを眺めつつ 千畳式から乗越浄土を振り返る 無事に行程を終えて下界へ帰ります

 乗越浄土からの急坂を一気に下れば、千畳敷カールです。しかし折悪しく、登る人の多い時間帯とあって渋滞も多く、思うようには下らせてくれません。
 どうにか千畳敷に下り、ロープウェイに乗って一気に“しらび平”へと下山しました。
西駒山荘前、後列バンザイは支配人 木曽駒ヶ岳山頂にて集合写真

 木曽駒登山はロープウェイ利用で登るのが通常であり、自分も過去に家族と登った事があります。
 しかし、今回の山行は聖職の碑コースを辿るので、直前に再度読み返してから参加しました。おかげ様で、小説の舞台を一つ一つ確認しながら登ることが出来て、自分なりに大きな収穫を得る事が出来ました。
 他のメンバーの方たちも、天候に恵まれ、きれいな山荘に泊まり、多くの展望にも恵まれて、大変いい山行だったと喜びと満足の声がたくさん聞かれました。
 山行を計画してくれたN/Oリーダーに大感謝です。有難うございました。     (おわり)

(今回出逢えた花の画像)