会山行紀行文 2015年
 4.01(水)〜25(土)
天候:下記
ネパールの山
参加者 (紀行文) 2162 H/M
3名
(男性1名・女性2名) (写真) 2162 H/M
ゴーキョ・リピーク(5360m)・カラパタールピーク(5550m)・エベレストベースキャンプ(5364m)
≪日程と行先≫
            A)   4月08日 GOKYO-RI(ゴーキョ・リピーク登頂)5360m    快晴
            B)-1 4月15日 E.B.C(エベレストベースキャンプ)5364m      曇り・小雪
            B)-2 4月16日 KALAPATTHAR(カラパタールピーク登頂)5550m 小雪・晴れ
≪紀行文≫
                               〜〜〜ネパール人の友人に哀悼〜〜〜

 今回の大地震の災害に、ネパールの国民、私のネパール人の友人に哀悼の意を申し上げます。

 コース:カトマンズを4月2日に出発し17人乗り飛行機でルクラへ。ここが起点となります(標高は2840m)

 A) 4月2日ルクラからシェプラン・パクディン2610m、モンジョ・ナムチェバザール3440m、ドーチェ・マチェルモ4470mを経由し
   ゴーキョ4790mへ、4月08日ゴーキョ・リピーク5360mに登頂する。
   チョラパス峠5420m越えでロブチェ4910mに抜けるコースをとる予定だったが峠が大雪で危険がありパンボチェ3930mまで下山し
   Uターン迂回し再度5000m越えゴラクシェまでコツコツ登る。

 B) 4月12日パンボチェからペルシェ4240m、デュクラ4620m、ロブチェ4910m、ゴラクシェ5140m
   4月15日に到着(ここはエベレストベースキャンプやカラパタール登頂の起点になる位置にある最後のロッジ)。
        その足でエベレストベースキャンプ5364mまでピストン。到着時は小雪で視界悪し。
   4月16日小雪の為午前4時出発を取りやめ、午前6時30分過ぎに出発。
        途中、3〜5時に出発したグループが小雪で続々と下山に遭遇。我々のグループだけ登頂に向かう。
        登頂30分前から天気が回復し頂上5550mでは、何と晴れが1時間も続きラッキーなビューを楽しめたのは、我々と後から来た
        3人だけだ。
   4月16日は、すぐ下山しナムチェ・ルクラから飛行機で4月22日午前にカトマンズに到着。

 C) 4月22日午後から4月24日夕方まではカルガリーのパーティで知り合った方のネパール人の兄弟に世界遺産を見学したり、自宅で
        くつろいだり、彼の友人の息子の結婚披露宴(200人)に招待されるなど満喫。
   4月24日の午後11時30分のフライトでカトマンズを立ったがその12時間後に悲しい大地震が発生。
   4月25日は本番の1200人の披露宴の最中に地震が発生なのでとても心配で、電話やメールをしたが全く通じず、先週やっと無事が
        わかり安心。我々は本当にラッキーであった。

 A)4月8日 ゴーキョ登頂5360m天気は快晴
 左上は、ゴーキョ5360mのピーク。後方はエベレスト。クボちゃん、おクニさん、真木さんの仲良し3人組。 
 上真ん中の写真のポールの間の山がエベレスト8848m、足元下は世界最大ゴズンバ氷河。

 B)4月15日 E.B.Cエベレストベースキャンプ5364m天気は曇りから小雪
 上はエベレストベースキャンプ5364m。友達になったバンコックのピット(私の左)右端はサム、前日チームの一人が高山病の為ヘリで緊急下山した。1回100万円だ。英語の勉強も大いに役立った。

 B-2) 4月16日 カラパタール登頂5550m 天気小雪から晴れのち曇り(登頂時のみ晴れる)
 写真上 頂上も見える。奇跡的に晴れる。ついにカラパタール5550m登頂(右端ガイドのアムリット)

 写真右。右の山はローチェ8414m、中央が頭を隠したエベレスト8848m、間にサウスコルも見える

 C)上段は世界遺産。左2ヶ所は崩壊したという。23日に見たので日本人最後の目撃者かもしれない。
  右端は神聖な儀式の最中。
  亡くなった母親(黄色に覆われた布の下)が石台の上に載せられ火葬される。(木のやぐらを組みその上に死体が載る)

  下は結婚披露宴に招待してくれた親族の娘たち。右は花婿と花嫁。左は真木と花婿の父。
  23日朝8時から200人のパーティに参加。25日はさらに1200人の本番。地震の日だ。
  登山中も観光時も本当に、色んな触合や出来事があり忘れられないネパールだ。