会山行紀行文 09.09.24(木)〜
     26日(土)
NO.91  穂高岳・3190m 参加者19名
(男性9:女性10)
1493 K/Y

                                 *画像提供は1630・S/Oリーダー、文中の句は1992・T/ Oさんです。

≪コースタイム≫
(9月24日) 新潟駅南口4:00−上高地8:30−横尾山荘11:50(昼食)ー涸沢ヒュッテ15:45
(9月25日) 涸沢ヒュッテ6:25−北穂高岳10:00−(昼食)−涸沢岳14:30−穂高山荘15:20
(9月26日) 穂高山荘6:20−奥穂高岳7:15−前穂高岳分岐9:40−岳沢ロッジ跡12:45(昼食)−
         上高地15:20−シャトルバス15:40ー沢渡(入浴)17:20−新潟駅南口22:00

<一日目> 快晴
 真っ青な空の行く手に穂高連峰が聳え、新潟4時出発の瞼もパッチリ。河童橋から見る景色にはいつもながら息をのむ。

河童橋から穂高の山々を望む 本谷橋にて。バックは屏風岩 涸沢ヒュッテにて

 木漏れ陽の中、明神〜徳沢〜横尾と快調なペース。本谷橋を渡り、涸沢を目指す。次第にダケカンバの黄色やナナカマドの赤が目に飛び込んでくる。やや赤が足りないなと思いながら、時間通りヒュッテ到着。「余り早く着くと飲み過ぎる。」と言いつつ早く飲みたいのである。早速テラスで北穂を眺めつつ<ノミーティング>開始。

<二日目>晴れ
 素晴しいモルゲンロートに映える涸沢岳に励まされてスタート。ジグザグな急登、いやな岩場を越え、漸く北穂高の頂上に立つ。グルリ見渡せば、笠ヶ岳、黒部五郎、薬師,槍、八ヶ岳そして、富士山と何でも来いの景観には参りました。
滝谷の迫力とキレットに少々背筋がゾクッ。

涸沢カールのモルゲンロート 奥穂高岳と、手前に滝谷

 いよいよ剱より厳しいかもと言われる涸沢岳へのルートに向かう。その道程の長いこと。一瞬たりとも気の抜けない時間が続く。さすがにリーダーさん「このルートはヘルメット着用がいいかな?」と、感想をもらす。
 漸く涸沢岳へ到着。苦労に報いてくれたのか、天からのご褒美を頂く。ブロッケン現象に遭遇する。

      ”ブロッケン 吾の姿や 虹の中” (もと文学少女のO女史が一句詠む)

涸沢岳への難所を行く ブロッケン現象

 穂高山荘へは鼻歌交じりで下る。明日登頂の奥穂高への第一歩を踏む梯子の前の舞台で第2回目のミーティング。これが又はちゃめちゃ楽しいのである。Yさんのハーモニカの美しい音色が夕焼け空へ吸い込まれていくようであった。

<三日目> ハレ
もう最終日になった。三日間天気に恵まれた喜びを胸にスタート。穂高山荘脇の梯子を登る足も軽い。時間通り高さ日本第3位の奥穂高岳に到着。穂高神社にこれからの無事を祈って吊尾根へ向かう。

奥穂高岳頂上にて ナナカマドと前穂高岳

 吊尾根もなかなかである。目の隅に入る4時間30分の長ーい重太郎新道を歩くのかと思うと気が重くなる。ここで一句

       ”見て 見て イワツメ草や 秋の風”  (O女史)

名残のイワツメ草やイワキキョウに励まされて、ようやく岳沢ロッジ跡へ到着。”夏草や兵者どもが夢のあと”ではないが、セメントの跡だけが残るのを見てると、何とも言えない気がしてくる。ホウ葉にくるんだ昼食の山荘の弁当が美味しい。
 ここからはタッタッと上高地へ。楽山会の面目躍如の歩き。沢渡で入浴し、一路新潟へ。名ドライバーのお陰で予定時刻に到着。

重太郎新道 ホウ葉に包んだ弁当 岳沢を下る

 このルートを平均年齢65歳の19名を連れて歩いたリーダーさんに大感謝。と共に、時間が少々オーバーしたり、前穂のカットもあったが、「何クソッ」と頑張った我々の足も捨てたものではない。天気も含め、全員無事歩けたことに感謝。 
穂高よさらば 又来る日まで・・・・・・。